地方公務員が病んで転落しつつある話

偶の理性と心の反吐を書き散らす

夢を見なくなったように思う。

前置き

 投資家と称する人、しかも成功していそうな人が「宝くじを買う奴はバカだ」というようなことを言うのを見る度に、投資家といっても一芸に秀でているだけで特に賢いわけではないというごく当たり前のことを確認する。

 

 たとえばジャンボ宝くじを毎回10枚買うとして、年に18,000円、50年買い続けてもたかだか90万円に過ぎない。今目の前にある90万円ならともかく、たかだか1日50円である。

 仮にこれを非課税で運用するとして、年利2.5%で回せば50年で約180万円になる計算だが、この利回りを維持する手間隙は如何ほどのものだろうか。そして、この利回りを楽々出せる人にとって、年に2万弱の資金がプラスされたから何なのだろうか。

 

 そもそも、宝くじを買うことは投資ではない。しかし、敢えて投資的な言い方をするなら、ブラックスワンを期待して買うものだ。無限小の確率(1等の確率1千万分の1)と無限大の利益(数日で数百万倍)に対して期待値は現実的な意味がない。

 

 「貧乏人の税金」などという捻くれた表現もあるようだが、たった1枚に300円出せば夢を、それも実現可能性のある夢を見られるのだから、本当に貧乏なら悪くない選択だろう。日々の労働という苦役に加えて、投資やら起業やらのための勉強といった更なる苦労をしなくて済むのも良い。

 

本題

 というわけで、楽はしたいが苦労はしたくない私は、宝くじを定期的に購入しては、当たったらああしよう、こうしようと妄想していた。しかし、それも昨年度までの話で、ここ半年は全く頭に浮かばなくなった。宝くじ(TOTOBIG)は自動購入の設定をしたままなので変わらず購入しており、当たる可能性があることも変わらないのだが。

 

 変わったことといえば、そう、精神を病んで休職したことだ。

 

 現実問題としても、いずれ解雇されて路頭に迷う未来が視界に入っているわけで、以前よりも金銭については切実だし、精神が弱ったらなおさら妄想の世界に逃げそうなものだが、そうはなっていない。

 

 マッチ売りの少女は衰弱死の間際にあって夢とも妄想ともつかない景色を見たし、飢餓状態だと食べ物の、脱水時には水のまぼろしを見るのは創作の表現として定番だが、現実にはただ死んでいくのではないか。

 意識が朦朧とした結果、幻聴や幻覚が起こることはあるかもしれないが、妄想というのは能動的な思考であって、これは正常で、かつ、ゆとりのある人間でないと満足に行うことができない高度な活動だと思う。

 

 人に魚を与えると、1日の糧とするだろう。

 人に釣りを教えると、一生の糧とするだろう。

 人に信仰を与えると、1匹の魚を願いながら死んでいくだろう。

 

 とはいうものの、それは願えば魚が与えられると信じているからであって、宝くじを買う人は、当選を願ったところで当選確率は変わらない(99.9999999%当たらない)ことを正しく理解している。つまり、当たると信じていないから、死にそうなときに宝くじのことを考えたりしない。

 

 以前は、ある日突然、口座に6億円入金があったらどうしようとか自然と頭に浮かんでいたのに、今は全く思考に上らず不思議だったので、こんなことを考えてみたがどうだろう。